あの頃の僕たちの「パズドラ」の体験について
ユリイカのソシャゲ特集、中田健太郎「逆説的な社会性」っていうパズドラの哲学的エッセイが泣けるのでやってた人は全員読んだ方がいい
— あのtheir (@Umisachi81) 2023年9月30日
このツイートと言及先のエッセイを読んで自分なりの「パズドラ」の思い出を語りたくなった。
数年前に流行った映画「花束みたいな恋をした」で主人公の麦君は仕事で疲れてもうパズドラくらいしかできない、などとぼやいていたが、僕にとってパズドラはー少なくとも一番ハマっていた中学時代はー片手間で遊ぶものではなく、本気で取り組み一喜一憂して遊んだ青春時代のゲームの一つだった。
僕がパズドラを初めて遊んだのは中学2年生のときだったと記憶している。まだ自分のスマホを持っていなかったため、当時高校に入学して買ったばかりの兄のスマホにアプリを入れ、隙をみては使用許可をもらい遊ばせてもらっていた。当然のようにそのうち自分で使える端末が欲しくなり、テストで良い成績を取るからとおねだりをしてアンドロイド製のタブレットを買ってもらってからは加速度的にハマっていった。
当時所属していた中学校の部活では、早くにタブレット端末に触れていた同期の数人の間ではやはりソーシャルゲームが人気で、中でもパズドラの人気は1,2を争うほどだった。部活中は大抵パズドラを話をして、「このダンジョンをクリアした」、「魔法石を○○個貯めた」、「ガチャで○○を当てた」「今度のゴッドフェスではこのキャラが欲しい」などといった会話を飽きもせず延々としてた。
休日に友人宅に集まってもー皆でスマブラをするときももちろんあったがーそれぞれの端末を持ち寄りガチャを引いたり、ダンジョンに挑戦したりとソシャゲで時間を共有することが多かった。同じ画面の中で協力、対戦するゲームの楽しさとは別の、ときに進捗を報告し合い、ときに当てたキャラの自慢をし、ときに次に来るコラボの予想をしたりと一人用のゲームで一緒に遊んでいる感覚がたまらなく楽しかった。
少し個人的なプレイ記録の話をすると、当時私は中学生だったため当然課金などはほとんどせず無課金で遊んでいた。本格的にハマってからはまとめサイトやyoutubeを日々周回し情報収集に勤しみ、無課金なりに工夫して強くなれないかと画策していた。頑張って貯めたなけなしの魔法石でヴェルダンディや闇ツクヨミなどをガチャで引き当て(カーリーは最後まで当てられなかった)、中三の頃には闘技場もクリアすることができた。その頃にはもう闘技場2や3も登場していたが無課金ではクリアも難しく、1をクリアしたことである程度の満足感も得たためその後はモチベーションが徐々に下がっていった。それでも高1ー2くらいまでは惰性で続けており、ランキングダンジョンや協力プレイも何度か遊んだ。大学に入ってからは遊んだ記憶も全くなく、今ではいつアプリをアンインストールしたかも忘れてしまった。
現在、パズドラがどの程度遊ばれているのか、そもそもソーシャルゲーム自体学生の間で流行っているのかわからないが、恐らく一世を風靡したあの頃よりは下火になっているだろうし今後こういった形のソーシャルゲームが世間を賑わすことはなさそうだと思うと一時代の終焉を見ているようでいささかさみしい。
ゲームに限らず様々な出来事は形を残せるのはわずかでほとんどは不確かな記憶と共に過去に流れてしまう。最近はそういった出来事の少しでもどんなに下手でも不格好でもいいから文字に起こし語り継いでいきたいと切に感じている。
(数年ぶりにアプリをダウンロードしたら容量不足で遊べなかった。)