あじさい通り

日記的ななにか

留学した目的

大学で半年間交換留学に行った目的を忘れそうになっていたのでここに書き留めておきたい。

 

英語力を伸ばしたいとか、また海外に長期間滞在したいとか、理由はもちろんいくつかあったが、

むかし一度海外にいたときにインターというとても貴重な場所にいたのに周囲とろくにコミュニケーションをとっていなかったことが悔いに残っていた。幸運にも話しかけてくれる友達が何人もおり学校生活は充実していたが、主に自分の受け身的な性格のせいで互いの背景にある文化、価値観を楽しむようなコミュニケーションをとることがほとんどできなかった。

それは例えば、ゴーダチーズの「ゴーダ」をなんて発音するかだったり、第二次世界対戦の戦況をネタにしたりだとかの、しょうもない話も真面目な話ももっとしたかった。

そういった機会を逃したことがたまにとても惜しく思われて、今度そんな機会があればもっと能動的にコミュニケーションをとるんだと思っていた気がする。

幸い、留学先だったタイでは日本人、外国人ともに多くの人とコミュニケーションをとることができて、自身の英語がうまく伝わったときも伝わらなかったときもあったが、苦楽を含めて人とのコミュニケーションを存分に楽しむことができた。

 

今ではそんな思いもほとんど思い出すことがなくなったので、きっと自分の中でうまく消化できたのだと思う。

「知ったかすんなって」

正しくは「知ったかしとるやろ」だったかもしれない。いや、この際なんと正確に言われたかなんてどうでもいいのだけれど、世の文筆家たちはどうして言われたこと、言ったことをあんなに覚えているのだろう、不思議でたまらないことの一つだ。

 

中学三年生のときに同じクラスで当時仲が良かった子に言われた言葉だ。言われたときは「してないって、」などと反射的に言い返してその意味について深く考えなかったが、今でもこういう深夜に起きてしまったときに思い出してしまうくらい印象的な言葉になっている。

たしかに自身の性格的になんでも一旦受け入れるようとする態度をとり、きっとそれが「知ったか」してるように彼女の目には映ったのだろう。それまでに、いや、それ以降も自分のその側面に対して指摘されることはほとんどなく、それゆえに衝撃的だったのかもしれない。

たしかに自分は「知ったか」、つまりなんでも知っているふうに振る舞ってしまうなあと反省し、自身の一つの小さなコンプレックスとして考えた時期もあった。しかし、今では割と肯定的に捉えている。

 

「いや、でもね、○○さん。自分はなんでも知っているかのような態度をとってプライドを守りたいわけではなくて、どちらかというと、相手の言葉をなんでも受けとめたいと思って、その場その場で引き出しの中から頑張ってごそごそと返せるような言葉を探してるんだよ」

そう今なら答えたい。でも、きっとあの子はそんなことを言ったことも忘れてしまっているんだろうなあ

暇で、満たされている時間

部活、留学、就活を終え、残る単位は卒論だけとなり、彼女に振られた寂しさを少しずつ忘れられるようになった大学4年の夏現在、中学生のときや留学中に時々感じていた「暇で満たされている」心地をまた感じるようになった。思えば、高校に入学したあたりから長らくこういった時間を過ごすことができていなかったように思う。

高校は田舎の典型的な進学校に通い、勉強と部活に追われる毎日で、決して成績はよかったわけではないが、それでも日々やらなければいけないことは重なり圧迫感を感じていた。それに付け加えると、人間関係でうまくいかず、同時に孤独感を抱え込んでしまっていた。

それでも受験勉強を乗り越え、大学に入学したと思ったらコロナ禍となり想像していたような大学生活とは程遠いものとなった。高校で悔いが残っていたため続けた部活動や初めてのバイト、また、一人暮らしの慣れない家事などで生活は埋まり、休みがあっても孤独感を募らせてしまい有意義に過ごすことができなかった。

部活を引退した後、約半年間は体調を崩してしまい思うように生活できない日々が続き、タイへ半年間留学に行ったときにようやく楽に生活できるようになってきた。留学先のコミュニティに上手く入れたこともあるし、なにより部活もバイトもなく「なにかしなければならない」思いに駆られることがこれまでと比べて一気になくなったからだったと思う。

タイで暇な時間があると、ふらふら観光をしたり、近所の屋台に行ってお店を開拓したり、川沿いでぼーっとしたり、手持ち無沙汰な夜には本を読んだりゲームをしたりした。

こういった時間を過ごすのは中学のとき以来で、これまで頑張りすぎていたんだなと最近やっと気づくことができた。留学から帰ってくると、就活や新しく始めたバイトや残った単位を集めることでそこそこ忙しく、そういった時間の感覚もまた忘れてしまっていたが夏休みに入り予定が全てひと段落するとようやくその感覚が戻って来た。

忙しくしければ忙しいほど良いととかく思ってしまいがちだが、そんなことは全くなく、むしろ暇な時間がある分だけ生活を豊かにできるのだとわかった。実家を離れ、家事を一人でこなすのであればなおさらだと思う。

高校、大学と無意識に随分と無理をしてきてしまったが、ようやく、中学のときにもっていた時間のゆとりを取り戻すことができた。あのとき、兄の部屋でゆっくり本を読み、ゲームにハマり、友人たちとよく遊んでいたときの充実感をもう二度と手放したくない。今、ようやく手に戻ってきそうなそれを離さないためにどんなことでもするつもりだ。これからまた忙しくなり、自分を追い詰めてしまうときもあるかもしれないが、自分のなによりの幸福のために最善を尽くしたい。

祖母の家

つい最近、約半年付き合った彼女と別れた。それで、別れた二日後あたりから、今更ながら亡くなった祖母の家に住んでいるという実感を時々感じるようになった。それまでは、一緒に住んでいたわけではないけれど、彼女のことはずっとどこか頭の片隅にあって祖母の家に一人で住んでいるという気持ちにはあまりならなかった。

失恋からようやく立ち直りはじめ冷静に考えてみると、随分身勝手に色々と家を使ってしまったなあと振り返る。

母が幼少期の頃にできたこの家はもう半世紀以上の歴史があり、その気配を一人になったことでひしひしと感じるようになった。まだ彼女と付き合っていたとき、「おばあちゃん家に一人でいて寂しくないの?」といったことを聞かれたことがあり、正確な内容は忘れてしまったが否定して答えた覚えがある。もし、今同じことを聞かれたら「寂しいよ、」と素直に答えたい。

油断してぼーっとしていると、祖父、祖母が住んでいたときの情景をふと思い描いてしまい、寂しくなると同時に死の気配を感じる。

それでも、この家に越してくる前、確かにここに住めることを嬉しく思っていた。小学生のころは毎年夏になると家族で泊まりに来てよく遊ばせてもらった。プールに連れてってもらったり色んなものを食べさせてくれた。そういった楽しい思い出がたくさんある家に一人で住めるなんてなんて贅沢だろうと気ままに思っていたものだが、この類の寂しさを感じることになるとは露も思わなかった。単にアパートのワンルームに一人で住んでいるのとはまた違った寂しさだ。

ここには確かに昔住んでいたーしかも近親のー気配が至るところで感じられる。それを実感すると、もう少し考えてから彼女を招待すればよかったと思い返す。こんな歴史のある家に誰彼かまわず招待はしたくないと思うようになった。

 

まったく話はまとまらないが、この家の、特にダイニングにいると吉本ばななの『キッチン』を思い出すので最後にキッチンの好きな節を引用して終わりにしよう。これまで別の場所でそうしていたようにきっとこの家でも何度も何度も読み返すだろう。

 もっともっと大きくなり、いろんなことがあって、何度も底まで沈みこむ。何度も苦しみ何度もカムバックする。負けはしない。力は抜かない。

吉本ばなな『キッチン』p.67

 

 

男が「かわいい」と言われることについて 

小さい頃からよくかわいいと言われていた。そんなの中学生くらいまではみんな親や親せきから言われるとは思うけど、俺は高校生大学4年になった今でも時折言われる。しかも、親や親せきからではなく同級生や先輩、後輩の女子から

それがどうしようもなく嫌になるときがある。今日は久しぶりにそんな気分になったので、これ以上年齢を重ねる前にこんな場所でもいいから今の思いを書き残してみたくなった。

一番最初は割と否定的に受け止めていたと思う。男の子らしく「かっこいい」と思われたいとか考えていたような。それに、言われるたびいつも少し小ばかにされているような気もした。

かわいいと言われる、思われることに徐々に慣れてくると段々好意的に思うようになった。陰キャがよく言われるようなキモイだとかブサイクだとかの言葉を投げつけられるよりかはよっぽどマシだし、なにより当時、いや、今でも、表面上好意的に見られるだけで中身がただの陰キャ自分にとって、たとえその言葉相手を対等に見ていないものだったとしても異性から好意的に見られるだけで嬉しかった。

かわいいと言われることでファッション趣味嗜好も女性寄りに変化したような気もする。でもこれは元々自分にあった性質なだけな気もするので一概には言えないかも。

話は逸れたが、かわいいと言われる、思われるからといって必ずしも恋愛対象とはならないことをここ数年の経験でわかった。女が男に対して使う「かわいい」は「かっこいい」や「憧れる」などと違って相手のことを無意識的に少し下に見て、小動物を愛でるような感覚で言っているのではないだろうか。いわゆる母性愛的な。今自分の一押しの漫画正反対君と僕』では、ヒロインが「かわいい」を「愛おしい」と表現していたが、同じような意味に感じる。

かわいい」と言われたとき、あるいは思われてると感じたとき好意的に思われて嬉しいと思うと同時に、対等に見られていないんだなと感じる。この言葉女性は割と躊躇なく使う。相手がどう思うかなんて気にもせずに。それに対して、最近流石にうんざりしてきた。こちらがどう受け取るかを無視して「かわいい」と安易に言う行為一種暴力性を帯びてはいないだろうか。

ジャニーズ俳優自分なんかよりよっぽど言われてるはずで、みんなときたま嫌になったりしないのかな。

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匿名ライブラリーより

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久しぶりに読んでやっぱりよかったので公開してみる(2024/09/02)

あの頃の僕たちの「パズドラ」の体験について

このツイートと言及先のエッセイを読んで自分なりの「パズドラ」の思い出を語りたくなった。

 

数年前に流行った映画「花束みたいな恋をした」で主人公の麦君は仕事で疲れてもうパズドラくらいしかできない、などとぼやいていたが、僕にとってパズドラはー少なくとも一番ハマっていた中学時代はー片手間で遊ぶものではなく、本気で取り組み一喜一憂して遊んだ青春時代のゲームの一つだった。

僕がパズドラを初めて遊んだのは中学2年生のときだったと記憶している。まだ自分のスマホを持っていなかったため、当時高校に入学して買ったばかりの兄のスマホにアプリを入れ、隙をみては使用許可をもらい遊ばせてもらっていた。当然のようにそのうち自分で使える端末が欲しくなり、テストで良い成績を取るからとおねだりをしてアンドロイド製のタブレットを買ってもらってからは加速度的にハマっていった。

当時所属していた中学校の部活では、早くにタブレット端末に触れていた同期の数人の間ではやはりソーシャルゲームが人気で、中でもパズドラの人気は1,2を争うほどだった。部活中は大抵パズドラを話をして、「このダンジョンをクリアした」、「魔法石を○○個貯めた」、「ガチャで○○を当てた」「今度のゴッドフェスではこのキャラが欲しい」などといった会話を飽きもせず延々としてた。

休日に友人宅に集まってもー皆でスマブラをするときももちろんあったがーそれぞれの端末を持ち寄りガチャを引いたり、ダンジョンに挑戦したりとソシャゲで時間を共有することが多かった。同じ画面の中で協力、対戦するゲームの楽しさとは別の、ときに進捗を報告し合い、ときに当てたキャラの自慢をし、ときに次に来るコラボの予想をしたりと一人用のゲームで一緒に遊んでいる感覚がたまらなく楽しかった。

少し個人的なプレイ記録の話をすると、当時私は中学生だったため当然課金などはほとんどせず無課金で遊んでいた。本格的にハマってからはまとめサイトyoutubeを日々周回し情報収集に勤しみ、無課金なりに工夫して強くなれないかと画策していた。頑張って貯めたなけなしの魔法石でヴェルダンディや闇ツクヨミなどをガチャで引き当て(カーリーは最後まで当てられなかった)、中三の頃には闘技場もクリアすることができた。その頃にはもう闘技場2や3も登場していたが無課金ではクリアも難しく、1をクリアしたことである程度の満足感も得たためその後はモチベーションが徐々に下がっていった。それでも高1ー2くらいまでは惰性で続けており、ランキングダンジョンや協力プレイも何度か遊んだ。大学に入ってからは遊んだ記憶も全くなく、今ではいつアプリをアンインストールしたかも忘れてしまった。

現在、パズドラがどの程度遊ばれているのか、そもそもソーシャルゲーム自体学生の間で流行っているのかわからないが、恐らく一世を風靡したあの頃よりは下火になっているだろうし今後こういった形のソーシャルゲームが世間を賑わすことはなさそうだと思うと一時代の終焉を見ているようでいささかさみしい。

 

 

 

ゲームに限らず様々な出来事は形を残せるのはわずかでほとんどは不確かな記憶と共に過去に流れてしまう。最近はそういった出来事の少しでもどんなに下手でも不格好でもいいから文字に起こし語り継いでいきたいと切に感じている。

 

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(数年ぶりにアプリをダウンロードしたら容量不足で遊べなかった。)

 

 

 

 

 

 

某講義のリアクションペーパー

納得のいく文章が書けたし、残しておきたいからここに載せちゃう。

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最後の「多元的現実を生きる」に一番興味を惹かれました。私は横浜市金沢区に3年と少し住んでいますが、年を経るごとにこの地域の解像度が上がっていく感覚があります。地元で過ごしていたときはこの感覚はあまりなかったのですが、恐らく一人暮らしを始め行動が格段に自由になったからだと考えています。美味しい飲食店や美しい風景を見つけるごとにさながらゲームの「トロコン」のようだと感じます。3年間住んでみて大体この地域を理解したつもりではいますが、100%まで達するのはここからが難しくゼルダのブレワイのコログ集めのように根気よく周囲を歩き回る必要があるのでしょう。
また、地域の解像度が上がるとともに思い出もたくさんできました。ブックオフ六浦店に向かう途中のパン屋で食べたソーセージロールの味、金沢動物園から見る町の風景、部活の仲間と宅飲みをし京急線沿いを自転車で帰る夜明け前、海の公園の夕焼け。これらは3年間で塵積もった僕の横浜市金沢区の思い出ですが、当然学生ごとに固有の思い出があるのだと思います。そういう意味でも「同じ空間を別用に」生きているのでしょう。先生は学生時代どんな思い出がありますか。