9年間のバドミントン人生を振り返って
明日、中学から大学まで続けてきたバドミントンに一つの区切りがつく。
簡単に言うと引退前の最後の大会がある。
といっても、私は出るわけではなく仲間を応援するだけで、正直言って勝ち負けもそこまで気にしていない。こんなことを言うと同期には確実に失望されるが、本音なので仕方がない。
大学からは試合の勝ち負けにはあまりこだわらなくなってしまったのだ。
その理由は長くなってしまうのでここでは語らないが、代わりに9年間続けてきた中で感じたことを書き残してみたい。
9年という年月は一見長いように思えるが、一つのスポーツに打ち込む時間としては平凡な数字だと思う。
七年なんてスポーツに打ち込む時間としては決して長くはない。何年かけても、どうにもならないことだってある。
(p74『一瞬の風になれ イチニツイテ』)
もちろんその人の運動神経などによって上達速度は左右されるが、一通りのショットが打てるようになるまでに1年程度は必要だと多くの初心者を見ていくなかで感じた。また、1年というのは大学生から始めた場合であり、高校生、中学生と始める年齢が下がっていくにつれ上達速度は遅くなるように思う。
私は中学生からバドミントンを始めたが、それらしいプレーができるようになったと実感できたのはここ半年のことである。それまでは自分の試合の動画を観ても変に力が入っていたり、フォームに違和感があったりして観るたびに落ち込んでいた。
9年という歳月をかけてやっとプレーヤーとしてのスタートラインに立った気分だ。
ただがむしゃらに練習していた高校時代を反省し、大学では少しでも考えて練習しようと意識した。一人でも上手くなるんだ、と意気込んでいたように思う。
幸いなことに大学では高校の頃よりいくらか上達することができた。
しかし、同期や先輩、後輩の助けがなければ今のレベルまで到達することはできなかったように思う。内向的でネガティブな自分に対していつも声を掛けてくれた彼らには本当に感謝している。
数か月前までは大学でもう終わりかなと考えていたが、今更になってもう少し続けていたいと思うちぐはくな自分がいる。選手としての限界点はわからないが、練習をすればまだ何歩か成長できると勝手に推測している。
でも、ここらで一旦終わりにしようとおもう。
他にもやりたいことは色々あるし、これ以上やっていても少し蛇足のように感じる。
何より、高校の頃から抱えていた気持ちにようやく区切りをつけることができる。
今後は残りすくない大学生活を存分に楽しむ予定だ。
バドミントンを通じて得られたものは数えきれないが、一番は「何の分野でも時間をかければそれなりに成長できる自信がついたこと」だと思う。
プロゲーマーのウメハラの動画の中で大好きな言葉がある。
どんな強いひとも必ず自分の延長線上にいる。
(中略)
一生追いつけない可能性はあるけど、その人が通った道は必ず通ることができる。
(9/6/2020 初心者講座第二弾「対空の仕組みと習得方法」パート6)
まだまだ足りないところばかりで周囲に迷惑かけている自分だが、この言葉を頼りにこれからも前に進みたい。
這いつくばりながら続けてきたこの9年間の競技人生の価値は、明日の試合の結果程度では決して左右されないものだと確信している。